2012年4月20日金曜日

長澤まさみ聖地巡礼~磐田 編~

Masami_jubilo

T君から「青春18きっぷ」2回分を格安で譲り受けた。もう使用期限がせまっていて何処かへ行く時間的余裕がないそうだ。ぎりぎりまで考えた結果、行ってみたい場所が思い浮かんだ。それは「磐田」である。

今、日本で一番人気がある女優と言って間違いない長澤まさみの故郷だ。長澤まさみという人物のことを知ろうとすれば、まず生まれ故郷の磐田を見てみないことには始まらない。

自分は一昨年、長澤まさみ聖地巡礼(セカチュー巡礼)として「香川県庵治町」を訪れた。それ以来のまさみ巡礼だ。

ローカル線で行くにしては遠すぎると思ったけど、行って見たい場所というのが自分にはそれほど残されていない。今まで活動をセーブしていたけど、自分はかなりの「まさみオタ」。マサミスト教団の聖地「磐田」へ信者としてなんとしても一度は巡礼に行かなくてはならないと以前から思っていた。

非信者の友人を強引に伴い、朝7時に出発し、小田原から熱海行きに乗り継ぎ、熱海から島田行きに乗り継ぎ、島田から浜松行きに乗り継ぐ。(三島と由比で途中下車した) 
きっとまさみは単身帰郷するときは掛川まで新幹線で磐田まで東海道本線だったのだろうなどと考えながら、車窓をながめ、ついに磐田駅で降り立った。
遠すぎる!静岡がでかすぎる!遠州というよりほぼ三河。まさみへの愛と信仰を試される荒行だ。

お腹がへって、へとへとなので予定を変更して、まず向かった先が
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長澤一家行きつけのファミレス「炭焼き さわやか」磐田本店だ。磐田までやって来たものの、確定している場所はそれほどない。ジュビロロードを歩き、ここまで来るのに強風に苦しめられた。口の中が砂だらけだ。iPhoneのおかげでここまで来れた。

なお、「さわやか」は静岡県内にしかないチェーン店らしく、東京在住静岡県人にとって忘れられない懐かしい味なんだそうだ。
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注文するのは「げんこつハンバーグ」一択。おにぎりのような形で運ばれてきて、目の前で切り開いて平べったくしてくれる。中心部がレアで赤味がある。

お世辞でもなんでもなく、自分が今まで食べたあらゆるハンバーグステーキの中で一番おいしい!衝撃的においしい!これを食べるために6時間かけて来てよかった。
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店内入り口付近にはなんとまさみのサインが飾られていた。2010年12月23日に来店したときのものだという。最近も来ているんだな。ハンバーグにフォークを刺してご満悦のスペシャルなサインだ。まさみのサービス精神はすごい。

このあとも予定があるのでゆっくりもしていられない。次の目的地へ行かなくてはならない。
おいしかった!ありがとう、炭焼きさわやか さん!足早に店を出る。

ちなみに、某国民的男性ボーカル&ダンスグループの主要メンバーの1人が、まさみとほぼ同じエリアの出身で、磐田に帰ったらやりたいこととして、「さわやかにいきたい」とインタビューで語っている。そのインタビューが店の入り口に貼ってあった。

地図を見たときに充分徒歩でなんとかなると思ったけど、風が強いこともあってちょっと大変だった。
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この店に行く前に、立派な神社があったので立ち寄った。県社府八幡宮だ。この辺りはところどころ小高い丘のような場所があり、昔から富士山の見える聖なる場所だったと考えられる。
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ネットで調べた結果、長澤まさみが通った小学校と中学校も判明。ネットの情報なので信頼していいかわからないが、手がかりはそれしかない。ここがおそらくまさみが1年間だけ通った城山中学だ。さきほどのファミレスから徒歩10分ほどの、坂を上った丘の上にある。

途中で部活動の帰りらしいJCたちとすれ違った。みんな、なんともいえない入浴剤のような緑色のジャージを着ていた。まさみも着ていたんだろうか、と考えながら、足早にその場を立ち去る。まさみが見た風景を見ている感動に浸る。(ストライクTVで、中学のとき告白してつきあった先輩の存在が明らかに)

次に小学校を目指す。ここからはさらに徒歩20分ほどかかる。まさみ巡礼をするにはレンタカーを借りるほうがいいかもしれない。自分は日ごろ山を歩いているのでなんでもないが。
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ここが富士見小学校。長澤まさみが6年間通った場所だ。今回、中学校から小学校までを歩いて見た結果、長澤まさみが育った場所を感じることができた。駅から遠いので車がないと買い物にもいけないだろう。小中校生は足腰が鍛えられるだろう。まさみの美しい脚はこうやってできたものかもしれない。

まさみは以前「私は磐田という微妙な場所で育ったので」とか言っていたけど、自分は磐田を田舎だとはまったく思わなかった。どこにでもある普通の住宅地と郊外型ロードサイド店の風景だった。東京の郊外となんら風景的に変わらない。帰省するさいは駅からタクシーか、今では車で高速とばして帰っているのかもしれない。(ストライクTVで車を運転して帰っていることが確定)
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高台の上にある新興の住宅地のようで、それほど古い家とかなかった。どの物件もきれいなもので雰囲気がいい地域だ。子供を育てるには最適な町だと思った。こういう地域で天真爛漫で健康な少女まさみは育ち、こういう地域の友達と遊んでいた。

富士見という地名のわりに富士山がほとんど見れなかった。見れる場所もあるんだろうけど、我々旅人にはわからない。この通りでおしゃれな小学生たちとすれ違った。かつてのまさみもこんな感じだっただろうか。自分が小学生の時は「レギンス女子」なんていなかった。

長澤まさみはプロサッカーコーチの長澤和明氏の長女として生まれ、磐田で中1まで過ごしたらしい。中2になる4月から東京中野へ転校した。
幼少のころのまさみを知ろうとすれば、父・長澤和明氏の経歴を調べるほうが、より磐田時代のまさみを知ることができる。今回多くのことを学んだ。
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ここは東海道五十三次の「見付」のあたり。歴史のある街のはずれの高台の住宅地でまさみは育った。

「子供のころ何でも買ってもらえる家庭じゃなかった」「私は庶民の子」などの発言を何処かで読んだ記憶がある。長澤まさみの父親はジュビロ磐田初代監督の長澤和明氏である。

長澤まさみが東宝シンデレラに選ばれたのが2000年1月。中山雅史夫人の生田智子の勧めがあったと聞いている。(※ 後にインタビューでこの説を長澤まさみ本人が明確に否定している。訂正記事はこちら。

まさみが小学校高学年にして芸能界へ進んだ理由に、本人が父親の仕事の不安定さに危機感をもったためだとどこかで読んだことがある。本当か嘘かわからないが、多少なりに真実を含んでいると思われる。

ちなみに、長澤まさみが12歳という史上最年少で東宝シンデレラに選ばれたとき、小学校のクラスメートの誰も驚かなかったことは伝説だ。「まあ、まさみちゃんならそうなるだろう」と。まさみは誰もが認める美少女だったのだ。中山、生田ともに「この子の可愛さはんぱねぇ!」って思っていたんだろう。
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かつてのまさみパパの勤務先のヤマハスタジアムへも徒歩でいけるので、行ってみることにした。

長澤まさみの口から、サッカーのサの字も、ジュビロのジュの字も出たのを耳にしたことがないが、それはまさみがジュビロ磐田にも、サッカーにもそれほどいい想いを持っていないからかもしれない。父はハンス・オフト監督招聘によってお払い箱になり、モンテディオ山形の監督として一家で引越しになるところだった。しかし、小学生のまさみが転校をいやがったという話が伝わっている。まさみはその後、中2で東京中野区の中学に転校した。まさみの仕事がだんだんと順調になってきたころだ。
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ジュビロの本拠地ヤマハスタジアムとグッズショップ。試合のある日は大いに賑わう場所だ。
この日は試合がない日だけど、ショップには他に2組ほど買い物に来ていた。街にサッカーのチームがあるっていいな。東京の人たちは何もJリーグに関心がないように見える。自分もぜんぜんないけど。

磐田の街の高校生はジュビロのジャージを着ている姿がよく目に付いた。街の子供たちにとってとて街の誇りだろうと思う。ジャージは高いのでTシャツを買った。磐田を支援するために。別にファンじゃないけど。
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最後にはもちろん玉華堂で「みそまんじゅう」もゲット。とんねるずの番組にゲスト出演したさいに、お取り寄せできるお土産として紹介したまさみの好物だ。これもとても美味しい。

家に帰り着いたのは23時50分ごろだった。久しぶりの18きっぷの旅でへとへとだ。土日でも東海道本線は利用客が多くて一部混んでいたりして座れなかったりして疲れた。帰りは磐田から熱海行きに乗れたので少しは楽だったが。もう18きっぷの旅はしばらくはしないつもりだ。

PS. 5年ぶりに「その時は彼によろしく」を観た。やはりまさみは美しかった。
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PS. GWに東北を旅して手に入れたHighway Walker ハイウェイウォーカー5月号で長澤まさみが地元へ車を運転して帰っていることが語られている。以下引用
「静岡の実家へは自分でクルマを運転して帰るんですよ。途中のアウトレットに寄ったり、PAで焼きそばを食べたりしながら(笑)。春は千葉の房総半島に行ってみたいですね。お花がキレイだと聞いたので、お花畑を見に行きたいです」
Masami_highwaywalker2012
うぅむ、出来れば車種も知りたいところだ。グラサン姿でハンドルを握るまさみを見たいものだ。

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